今回は古墳だ 赤城山オートキャンプ その1
手術前にキャンプに行った以来なので、キャンプだホイは3ヶ月ぶり。
本当は2週間前に行く予定が、冠婚葬祭が入りボツ、その後じょんさんのお仕事でボツ、そのどっちの週末も輝くような晴天だったのに、やっとキャンプに行ける今週末は雨ってどういうことーーー( ; ; )
でも行くもんねっ(笑)
夜のうちに上里まで。どうせ雨なので散々朝寝坊してまずは保渡田古墳群。
八幡塚古墳、二子山古墳、薬師塚古墳の3つの前方後円墳の古墳群で、ネットで復元された公園を見て気になっていたところ。
ほら、好きそうでしょ、私(笑)
この3つは約1500年前の豪族が眠る古墳で、5世紀の終わりから6世紀の初めにかけて3つが続けて造られました。
まず最初に八幡塚古墳。
ここに着いた時は奇跡的に雨がやんだので、こへも一緒に古墳散歩。
八幡塚古墳の墳丘の長さは96メートル、高さ約8メートル、後円の直径は56メートル。外周の堀も含めた墓域の全長はなんと約190メートルの巨大な古墳でした。
地元の子どもたちの焼いた壺で囲まれていて、迫力でした~。
青空がバックに写真が撮れれば、どんなにか綺麗か~(´;ω;`)ウゥゥ
さ、今日は朝一登城じゃなくて、朝一古墳でしね♪
でかいでしーーーー。
こういうとこには「IT」がいるんでし。
この階段を下りていくと・・・・
中の石棺が見られるようになっている。
ここで雨が降り出したので、こへは車でお留守番で次の二子山古墳
二子山古墳の墳丘の長さは約108m。外側は内堀と外堀の2つの堀で囲まれています。墓域の面積は約3万㎡という広大なものでした。
今は周囲の掘りがコスモスで彩られていて満開の時はさぞかし綺麗かと。
保渡田薬師塚古墳
現在は西光寺の境内となっていて今日は割愛。
最後はかみつけの里博物館でお勉強。
こじんまりとした博物館だけど、説明も広げず古墳に特化してるのですごくわかりやすい。
さて次は箕輪城。
戦国時代、当地を支配する長野氏によって築かれ、その後様々に城主が変わった激動の歴史を持つお城。
武田氏に奪われてからは武田氏の有力家臣である甘利昌忠、真田幸隆や内藤昌豊らが城主を務め、武田氏滅亡後は滝川一益の居城に。
「本能寺の変」後には北条氏の城となるものの、その北条氏も豊臣秀吉によって滅び、後年徳川家康が井伊直政に箕輪城を与えその後廃城を迎えます。
空堀や土塁の壮大さが見事で、その昔来たときはあまり整備されていなくて、いかにも廃城マニアな感じ。実際に廃城マニア雑誌を見て行ったしね(笑)
それが今回は広くて綺麗な駐車場が完備されてるし、城門も復元されていてびっくり。
今も本丸が工事中だし、散策路も整備途中で今後どうなっていくか楽しみ❤️
廃城感はなくなっちゃうけどね(^◇^;)
そしてキャンプ場を目指す。
途中の道の駅で軽くご飯食べて、13時過ぎに到着。今日のお宿は「赤城山オートキャンプ場」
結構降ったのでキャンセルした人も多いんじゃない??とか思ったけど、家族連れでいっぱい。
ほぼほぼ満サイトでした。
今回大きな区画を予約してあったんだけど、一度お葬式でキャンセルしちゃったので、今日やっと取れた区画はタイニーサイト。
まぁいくらタイニーとは言っても今日びのキャンプ場なんて区画は意外と大きいから・・・・と甘く見てた。
大きさマジでタイニーだった(笑)
いやぁ、もう少しでテント張るのを天候じゃなく、面積で張るのを諦めるとこだった。
なんとかぴとん号の横に満員電車並みに近づけて張り終えました。
雨降ったりやんだりで、スカートとかきちんとペグってないからちょっとよれよれ(笑)
場内散歩。
あぁ、青空で写真撮りたい( ノД`)
まぁでも降ってない時にテント張れたし、こへも場内お散歩できて満足満足。
ゆっくりとカフェタイム。
一休みして、途中で買った上里うどんでお鍋の夜ご飯。
んでこの辺りから本降りだけど、ここまでこもっちゃうと雨音も心地よい。
久しぶりの焚き火ができんかったのだけが残念ーーーー。
今回はそんなに冷え込みは無い予報なので、センゴクアラジン君投入。
僕はまだ眠くないでしよ。母ちゃんたちの夜ご飯も一緒に食べるでし♪
母ちゃんたちの夜ご飯できるまで起きてるでしよ。
眠くなんかないでし・・・・・・・
寝た(笑)
埋めてみたら爆睡した。
結局私たちの夜ご飯の準備できてもピクリともせず。
今日の夜ご飯は上里うどん鍋。
美味でした。
なんと20時には人間も爆睡。
せっかく新しい携帯買ったからキャンプ写真たくさん撮りたかったのに、雨だし、久しぶりのキャンプで結構膝の痛みも出てくるし、で瞬殺でした(;・∀・)
夜は久しぶりに膝の痛みで何度か起きたけど。
でもやっぱりキャンプ楽しいなぁ。
来られるようになって本当によかった💛
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