戦後80年。戦場のメリークリスマスとまずは母親のこと

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2025年の今年は戦後80年。
なので、テレビなどでの特集も多く、テーマ曲なのかよく「戦場のメリークリスマス」がかかる。
好きな曲なのに、聞くと胸がぐっと痛んで一瞬動けなくなる。

母親の癌が判明して、母の希望で家で療養、看取りまでをするとなってから数年。母親が亡くなるちょうどひと月前のこと。
強い人だったので、はた目には弱音もまったく吐かずに普通の日常に見えてたけど、それなりに病状が進んで本人もいろいろ考えていただろう時に坂本竜一さんの訃報。癌による死去だった。
ニュースでは最期呼吸困難で苦しい時間があったとのこと。

このニュースを見て「癌の症状が進んでも薬や呼吸器で痛かったり苦しかったりしなくて済むのよね。済むのよね。」と、何度も何度も聞いてきた。
私もこの時は、苦しくなれば麻薬系の薬もあるし・・・・と安易に考えていたこともあり「うんうん大丈夫だよ」と安請け合いをしたけど、感情の変化を外に見せないあの強い母親が、珍しく取り乱しているのを見て、確実に病状は進んでいるのだな・・・・と、思い知らされる。

それから3週間ほど経って、状態は急変。
歩くのが大変だとは言え、ほんの数日前には里山ガーデンに出かけてお花を見て回ることができたのに、呼吸がしにくくなり酸素吸引が始まってからは酸素を2リットル入れても5リットル入れても苦しさが消えない。薬の種類も刻一刻と変わり、量を増やしても増やしても苦しむ方が大きく対応が間に合わない。
本人からも苦しいのでもう眠らせて欲しいと言われ、麻薬系の薬を点滴で入れたりして眠らせてあげられないかと先生にお願いはしたものの、難しいらしく座薬どまり。

 

肺がんの最後の苦しみはそれこそ溺れているのと同じ。
それを母親が一番怖がっていたのはわかっていたのに、そして今こそそれを取り除いてあげないといけないのに、私にできることがあまりに無い。
もちろん変わり続ける薬の対応、ベッドや酸素吸引の環境対応、訪問診療や、ケアマネさんたちへの連絡事項、身体の世話まで分刻み秒刻みで動き回っていても一番しなきゃいけないことがなにもできていない無力感しか感じられない。

あの時、何度母親に心臓発作が起きることを願ったことか、捕まっても構わないから今心臓を強く叩けば楽にしてあげられるんじゃないかと何度考えたことか、何度尊厳死を願ったことか・・・・・。

苦しみながら私の腕を掴み、なぜ楽にしてくれないのか・・・・と訴える母親の目は一生忘れない。

本当に苦しかったのは1日半くらい。
母親は誰にも病気のことを伝えていなかったので、死後に親戚、友人には状態を私が説明することになる。
ほとんどの人は「苦しんだのが数日だけでよかった・・・・・」と言ってはくれるが、溺れている状態の1日半は本人にとってはきっと永遠に思えるに違いない。

溺れている人の手を取っているのに、引き上げられない自分の無力さは一生消えない。

戦場のメリークリスマス。

この曲を心穏やかに聞ける日は来ないんだろうな・・・・・。

 

 

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