久しぶりの怒涛の城攻め 岐阜1日目
ブログ更新がこんなに遅れたのも久しぶりだ。
・・・・・こういうことでも体力の衰えを感じる(笑)
ではゴールデンウィーク後半戦。
前日出発して、沢渡近くの風穴の郷で撃沈。
天気予報通りの結構な雨で、最初は車多くなかったけど、深夜に入ると連休の観光の人も山登りの人も続々と到着し、通路にまで車が溢れててびっくり(;・∀・)
明け方強く降ったけど、みんな果敢に出発していくよーーー。
私たちもせっかくの前日出発を無駄にすまいと、早起きしてここから高山へ。
まずは連休定番となりつつある朝一番のお散歩登城。
高山城址公園は駐車場がわかりにくいし、高山は一方通行が多いため、行く場所がわかっていないと相当走りにくい。
ぴとん号の幅1.88なのに、後ろの車に押される感じで、道幅1.7の看板のところに突っ込んじゃったりしたときは心臓バクバク(笑)
意外と通り抜けられることに驚いた。
さて、高山城跡。
高山の町から120mくらいの高さの山1つを丸々使っている感じの城跡。軍事的なお城というよりはなんとなく優美な御殿風の古い城郭形式だったそうで、城山山上には積み直された石垣が今も残っています。
金森長近が豊臣秀吉の命を受けて飛騨を侵攻、その功績で翌年飛騨一国を賜り、お城の築城は天正16年(1588)から始まり、慶長5年(1600)までの13年間で本丸、二之丸が完成。
以後可重(ありしげ)によって三之丸が築かれ、慶長8年までに16年かかって完成したそうです。
最終的には元禄8年(1695年)幕府の命で高山城は完全に破却、廃城となっています。
あまり説明版は無く、今では城跡というよりは地元の人々がウォーキングを楽しむ公園の風情。
本丸広場。
雨上がりで空気が澄んでて気持ちいいものの、地面べしょべしょなのでボール投げは断念(´;ω;`)
連休でほんの少し下の高山の町は人でごった返しているのに、公園内は本当に静か。こへを連れてお散歩してるとまるで地元民(笑)
朝一登城は終了。
ここの駐車場は公園利用者専用なので、町に降りてみる。
町中心地の観光駐車場は軒並み満車だったけど、一本裏に入ったところにある駐車場に滑り込みセーフ。
ちなみに先ほどは幅が狭い路地だったけど、この駐車場は高さ制限が2100。
ぴとん号は2105なので、これもオーバーだったけど、オーナーの入れる♪入れる♪の誘導でクリア。
ここも心臓バクバクだった(笑)
なにせでかいからさ、ぴとん号。こういう細い路地ばっかりの観光地は停めるところに難儀する~。
んで宮川の朝一巡り。残念ながら開始時間ごろまでは降ったりやんだりだったので、出店の数は半数くらいかな?
スイーツ食べ歩きしたり、さるぼぼ買ったり。
もう20年近く前になるのか、ぴとんが我が家に来た時に、2回目の泊まりの旅行に来たのが高山だったんだー。
あ、ここぴとんと来たねー、とか思い出しながらのそぞろ歩き。
僕にもなんか買ってくださいでし。
昔の町並み歩いて行った先に高山陣屋。
高山城主金森氏の下屋敷の一つだった高山陣屋。金森氏が山形県へ移ってからは徳川幕府の直轄地となり、江戸から代官や郡代がきて、ここで飛騨の政治を執り行ったとか。
玄関を入った正面の壁にある、郡代の格式を示す青海波模様が美しかった。
こんなところにも青海波。芸が細かい。
内部は、御役所、御用場、大広間、役宅、吟味所、白州などのほか、裏手には高山城三の丸から移した御蔵(米藏)8戸前(藏は戸前とかぞえる)も昔のまま残されています。
説明もわかりやすく、見応えのある内容なんだけど、わんこがNGで、代わりばんこ見学になるために、もうちょっとゆっくり見たかった感じ。
高山の町でお昼ご飯を・・・・ともくろんだけど、めぼしいお店はどこも人でごった返していたので早々に移動。道の駅のレストランで飛騨牛の朴葉味噌焼きを食べて、満足して、さて…。
実は今回の目的地は郡上八幡。
その途中で高山に寄っただけで、すぐに郡上八幡に移動するつもりだったんだけど、高山で足を止めてしまったので前々から気になっていた帰雲城が頭をよぎる。
ここから50キロ。高速使えばすぐ(感覚麻痺してる(笑))、飛ばせば行けるんじゃね???
次回いつこの辺来るかわかんないもんね…と、思い込むことにして、
飛ばせーーーーーーーーー♪ ←お巡りさんに怒られない程度でね(笑)
高速出口は白川郷。そして帰雲城への一本道がなんと白川郷への駐車場の道と重なる。
つまりその渋滞を越さないと帰雲城へは行けないのだ~(´;ω;`)
夕方近くだったので、20分ほどで渋滞は終わるんだけど、せっかく渋滞にはまったんだから白川郷にも行っておく。
前に来たときは連休中日の平日だったので、のんびりと合掌造りを楽しめたけど、さすがに連休。
ここもすげー人 ← 渋滞してただろ(笑)
ぶらぶら歩いて荻町城址見て、こへ走り回って、お目当ての帰雲城址へ。
川の色が翡翠色♪
堀切も小さいけどちゃんとある♪
観光客の人たちは白川郷集落を見る展望台と思っているけど、ここ城址なんだよーーーーー 、気が付いてーーー(笑)
白川郷からほんの数キロで帰雲城。
「流れる雲は常にこの山頂に至りもと来た空に帰る」と言われた帰雲山、なんともロマンチックなこの山にあった帰雲城。
帰雲城は戦国時代、白川郷一帯を領有していたのは内ヶ島家の居城。
詳細な説明はこのページが読みやすかったので、こちらを。
大きな戦いもなかったこの地に歴史の波が押し寄せてきた天正13年(1585年)。
配下の金森長近に飛騨攻略を命じた羽柴秀吉。
飛騨の大半を治める姉小路(三木)自綱は越中の佐々成政と組んでそれに抵抗、帰雲城の内ヶ島氏理もその同盟に加わったけれど、金森軍は姉小路家の居城を攻め落とし、また佐々成政も秀吉に恭順してしまいます。さらに居城の帰雲城は身内の内応によって金森軍の手に落ちてしまったため、内ヶ島氏理はやむなく金森長近の許を訪れて和睦、金森氏に臣従することで所領安堵となったんだそうで。
ある夜、所領安堵を受けての祝宴が帰雲城内で開かれます。もちろん城主をはじめ、内ヶ島一族郎党が全員集まっての宴。
ところがその夜半、天正地震と呼ばれる日本の半分を揺るがすくらいの大地震が発生。帰雲山が崩落し、帰雲城とその城下町は土砂に完全に埋まってしまう。
内ヶ島一族、城下町の人々数百人も共に一夜にして歴史から消えた帰雲城。
残されたのは宴の夜に所用で町を離れていた数人のみだったとか。
帰雲城の石碑と後ろに見える山肌が崩落した部分。
この石碑のあるところが帰雲城埋没地として、帰雲神社などもあるんだけど、地元の採石業者の社長の夢枕に内ヶ島氏の武将が現れたことが発端で造られた施設なんだとか。
実際のお城や集落の所在地は全く不明のまま。川のどちらの岸にあったのかさえわからないんだそうです。
しかも、白川郷一帯は金銀の産出地で、内ヶ島一族がこのやせ細った土地に勢力を張れたのは金鉱を掘り当てていたためと考えられ、その蓄えられた金銀が地震によって埋まってしまっているという「埋蔵金伝説」まであり、より一層のロマンを醸し出しているのかも。
写真やネットで調べた情報は持ってたけど、実際に崩落した山肌を見ながら、かつての生活や城に想いを馳せるとすごく重い。
目の間にあるのは石碑と崩れた山肌だけなのに、今日一番の凝縮した時間をここで過ごした。
やっぱり時を経ても現地に身を置くのは大事なことだと思う。
この一帯を走っていると、ここまで大規模ではなくても崩落した痕がちょこちょこ見受けられた。
これで気も済んだ。
ここから郡上八幡を目指してひた走る。
すげー走行距離だな、今日(笑)。
途中の白鳥温泉でお風呂入って、道の駅古今伝授の郷が今晩のお宿。
朝一で買ったお餅焼いて晩御飯。
こへは先日の有笠で急にひと段階大人になった感じがする。
今日も一緒に晩酌を楽しみ就寝。
ぴとんだったら目の前に食べ物があろうもんなら、卓上コンロに顔を突っ込むことくらいしてただろうからな(笑)
ブログを書いてから寝ようと思ったけど、異常に眠くて、意味不明の文章を打っていたので断念。
おやすみなさーい。
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