岩殿山登城っ!!
ここ数日、咳の発作はあるものの、夜に咳で眠れないということはなくなったので、
今日はいつも高速から見ながら気になりつつも来たことなかった岩殿山ハイキングにお出かけ~♪
咳の様子みながら、膝の様子みながらにはちょうどいい感じのハイキングです。
今回は朝、家を出発。
岩殿山城跡のすぐ下にある丸山公園駐車場に車を停めて、0930に歩き出し。
急な階段を登るとすぐの資料館。
ここでお勉強と、最後のトイレを済ませるとGOOD。
すでにここからも富士山が素敵に拝めます。
一応山頂って書いてあるし(笑)
まずはこんな門があって・・・・
資料館。白旗史郎の写真展をやっていた模様。
ブルーシート気になるけど、ほら、後ろに富士山。
ここからもうひと踏ん張り階段を上がると岩殿城跡。
断崖を見上げる。
岩殿城趾はもともと天台宗の「岩殿山円通寺」として開山したのが始まり。
その後戦国期に武田氏に家臣の小山田氏が相模・武蔵方面への守りの詰め城として、城郭化した。
確か前回の真田丸だったか、もっと前の真田太平記の大河ドラマだったかでも見た、「武田勝頼は築城なかばの新府城を焼き捨て、真田昌幸の「岩櫃城にお退きあれ」の言を退けて小山田信茂の守る岩殿城へ退避するべく行軍していたが、笹子峠で小山田信茂は叛乱、勝頼は岩櫃へと転進するも敵わず、天目山にて自刃した・・・・・」というシーンの舞台。
丹波哲郎が昌幸やってたから古い方か(笑)
この武田氏滅亡のきっかけとなった小山田氏についても、このハイキングのクライマックスに出てくる稚児落としについても諸説あるらしく、このページが分かりやすかったかなぁ。
城門跡。
他には空堀もよくわかる感じで残っていた。
岩殿城跡。
もちろんここからも富士山。
今日は雲に隠れることなく、ずーーーっと富士山を見ながら歩けて幸せ~。
まだお昼には早かったけど、前を行く20人の団体に追いつきたくなかったのと、朝ごはんも軽く車で食べただけだったので、ここで早いお昼。
昨日作っといたお稲荷さんと、クエン酸たっぷりのレモンゼリー♪
あずま屋はベンチもテーブルもあっていいんだけど、風の通り通でちょっと寒いので、本丸跡横の窪地の陽だまりで。
今日はハイキング用ザックデビューなんだけど、ハイキングって考えたら荷物なんもねーんじゃね???・・・と、
無駄に椅子とか背負ってきてて正解(笑)
そしてここから今回メインの稚児落としを目指します。
こんなことして遊びながら進む。
途中なかなかいい感じのプチ鎖場と、岩壁のトラバース。
ネットで見たのよりもどれもキュートな感じで楽しい。
トラバースはネットの写真とかはロープだったけど、すんごいしっかりした手すりがついてて安心です♪
そしてクライマックスの稚児落とし。
思った以上に迫力だった。
こういう場所がチキンな私は怖くてなかなか近くに寄れないくらい。
戦国時代、敵から逃れるために、赤ん坊の泣き声で見つからないように赤ちゃんを落としたとも言われるけど、
歩くときはそういう内容はあまり思い出さないように・・・・・思い出さないように・・・・・。
せっかく景色もいいし、少し休みたかったんだけど、追いつきたくなかった20人の団体さんを先程追い越し、しかも20人の団体さんがここでお昼と言うのでワサワサ感に耐え切れず早々に退散~。
落ちないでね~。
ここからは急な下りが続いて膝にくる〜。
だんだん痛くなってきたな、というくらいで下り終了。
登りも下り結構急なので、高度を稼ぐのが早くていいけど(笑)
ここから駅を過ぎ、車まで戻る舗装路が一番疲れた。
無事に下山~。
今回は疲れないように小股に小股に歩いてみたけど、いつものスピードで歩くより随分疲れてない。
あまりに遅くてじょんさんに怒られるかと思ったけど、このスピードで休憩無しなら許容範囲だそうだ(笑)
私としては、このスピードでなおかつ随所で休憩がベストなんだけどな(笑)。
あったかいおうどんたべて、ここでじょんさんとはお別れ。
私はこのまま明日は山梨クライミングなので、体力温存のために大月から電車で帰ってもらった。
なかなか上りの電車がこなかったみたいで、結構時間かかった様子。
ごめんねー。ありがとーーー。
思い返せば、山屋とクライマーなのに、なんと一緒に山(ハイキングだけど)に行ったのはこれが初っ(笑)
富士山で亡くなった友人に挨拶するために一緒に登ってもらった富士山以外ではねー
わんこがいると、わんこ置いて2人で山に行くとか、寂しくて考えられなかったもんねー。
なので、今更新鮮(笑)
さて、私はめけて-と某所で待ち合わせ。
温泉を堪能し、久しぶりの車中飲み。
美味しかったわぁ。
そしてなんと9時に就寝。
なんて健康的な週末なんでしょう(笑)
お休み~。
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