つらつら・・・・
某「札幌で骨盤骨折で入院しているクライマー」のブログにこんな文があった。
クライミングの事故から身を守るという内容の小冊子について語られているもので、
「”クライミングは危険なスポーツ”という認識から始めないと駄目でしょう。ただ”スタイル”が非常に重要な価値を持つスポーツだけあって、妥協点をどこに置くかは難しいところですが、捨ててしまったら単なる運動になりさがってしまいます。その辺が受け入れられないようならもっと安全な遊びはゴマンと有るので変えた方がいいでしょう。って怪我人が言っても説得力ないですね。」
・・・・確かに怪我人が言っても説得力はないな・・・・
あ、そうじゃなくて、確かに大したことはしていない私でも、クライミングは危険なもの、という認識がここ数年で確固たるものになっていたので、この文章は何か気持ちをすっきりとさせてくれた気がした。
以前私が誘ってクライミングを始めた女の子がいて、なかなか可愛い子だったので、続けていればさぞかし野郎どもは嬉しかっただろうと思ったけど、最近クライミングもぱったりと来なくなり、理由を聞くと「危ないから」ときっぱり。
怪我をする前に気がついてくれて良かった、と妙に安心したことを思い出した。そっか、受け入れられない人は、他の遊びをすればいいんだ・・・。
と、こんなことをつらつら考えていて、今日、山と渓谷の3月号を何の気なしに買ってみた。山野井さんの特集。山野井さんの過去の山歴やこだわりが書いてあった。以前雑誌かなにかで山野井さんが「山では死んでいい人間といけない人間がいて、僕はいい人間。僕が山で死んでもすべての人が納得するだけのことをしているから」みたいな内容のことを書いていて、とても印象深かった。そして今回の山渓の特集では、山野井さんのお父さんの人間像が印象に残る。
子どものころの山野井さんの登る情熱への対応と言い、遭難し行方不明になっているときの「死ぬのは泰史一人でいい」という言葉は重い。あの親にしてあの子あり・・・なのかもしれない。
そして先日は一緒に登りに行った人に「モチベーションがあるのなら分不相応でも高いグレードに取り付くこと、取り付いてるうちに必ず強くなる」ということを言われた。これも心に響く一言だった。
最近私はいろんな言葉に支えられ、登っている。
この記事へのコメント
なるほど…
おいらは、有名な人の一言よりも身近な人の一言の方が、参考になることが多いです。(具体的には、毒吐き師匠とヒ様)
特に、最後の一言は身に滲みるなぁ…。
そですねー
モチベーションのある人の言葉はずっしりと来ますねー。
いやー、それにしてもこの最後の言葉はすばらしい一言ですこと
親
山野井さんの “あの親にしてあの子あり” というのは違うと思います。逆だと思います。
今回怪我をして、親に電話をしたとき “自己責任でしょ” ガチャッと完璧な対応でした。
クライマーの親はそうじゃないと、周りの人が大変だと思います。
さすが
えのっきーの親御さん。
うちの母ちゃんは何かあったときは、中途半端な状態にだけはなってくれるな、と言っている・・・それって・・・
スタイルが
非常に価値のあるスポーツ、っていうのは身に染みますね。ここ最近は、ハングドックしてRPするという、ルートコレクター的なクライミングしかしていないですからね。冒険的なクライミングもたまにはやりたいですな。
↑ ならば
ヒー様、私を連れてマルチなんぞいかが♪
グレードとは違う意味で冒険心が味わえます
たしかに!?
冷や汗もんかも!?