久しぶりの福井の城三昧リベンジ編 金ヶ崎城址

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朝起きてまずは福井県敦賀市の金ヶ崎城址へ。
駐車場はわかりにくいけど、元敦賀港駅(貨物駅)の隣にかなりの台数が駐車出来ました。
若狭越前5名城巡りと言う企画をしてたんだけど、お城ごとにキャッチコピーがあってここは「難関突破」のお城。

織田信長が越前朝倉氏の領国へ侵攻し、金ヶ崎城を攻め落とすことに成功。
しかし信長の妹・お市の方が嫁いだ浅井長政の裏切りによって、朝倉軍と挟み撃ちにされる危機に陥る。
それに気づいた信長はすぐさま金ヶ崎城を脱出、この時に殿をかってでたという豊臣秀吉の撤退戦が「金ヶ崎の退き口(のきぐち)」「金ヶ崎崩れ」と言われ、信長の大きな危機のひとつと言われている・・・・のは、知ってたんだけど、実際の殿軍の主力は明智光秀の軍で、後に秀吉が天下を取った時に秀吉の手柄に書き換えられたのでは・・・・・??と言う説もあるそうで・・・・。
真相はどうなんでしょうねぇ。

そしてそれよりもずっと前、南北朝時代には後醍醐天皇の命を受けた新田義貞が尊良親王・恒良親王を奉じて、気比氏治の居城であった金ヶ崎城に入城。
約半年間続いた足利勢との戦闘でついに落城、尊良親王、新田義顕以下将士300名が亡くなったとも伝えられます。
こういう戦いのあった城址と言うのはやはり訴えかけてくるものが大きく、本丸跡からの展望も今ではただただ美しい風景だけど、往時は攻め来る敵を見下ろしていたんだなぁ・・・と思いつつ眺めるのはなかなかの臨場感。

登りだし。ここから15分から20分の登り。

日本海・敦賀湾が一望できる月見御殿跡。月見崎にある月見御殿は海抜86メートル、金ヶ崎の最高地点。南北朝時代の金ヶ崎城の本丸跡で、戦国時代にも武将たちが月見をしたんだとか、確かにここからなら美しい月を愛でられただろうなぁ。


朝一の山城登城の次は街中に下りて敦賀城址。
大谷吉継が城主だった敦賀城は、関ケ原の戦いに敗れたことで大谷吉継は自刃。
その後福井藩領となっていましたが、一国一城令により廃城と言う歴史をたどります。

真願寺、敦賀西小学校、八幡神社、西蓮寺、稲荷神社あたりが城域だったとされますが、いまでは遺構はほとんどなく、敦賀西小学校の脇に一瞬車を停めて石碑を読んだ(じょんさんが(笑))のみで終了。

まともなご飯を昨日の夜から食べてないので、このあたりから妖怪腹減りおまっきーの機嫌が悪くなる(笑)

何か食わせろーーーーーっ!!昨日地図でなんかさかな街とか見たぞーーーっ!!そこへ行くーーーーーっ!!!

と暴れだす。
そんなに期待はしてなかったけど、日本海さかな街。 ここ、すごいぞ♪
着いた時はまだ10時前後くらいだったからそれほど人もいないし、、、と思ったらここから続々と車が入り始めて一瞬で満車(OvO)
私たちは混む前に一足早くテイクアウトで海鮮丼やら焼きサバなんぞを交代でゲットして車中飯。
越前蟹なんかも美味しそうでした。これが帰る日だったらクーラーボックスパンパンにするんだけどなぁ・・・・・。
早く冷蔵庫のある車来ないかな(笑)今は食べられる分しか買えないのがマジで残念だ(´;ω;`)ウゥゥ

ちなみに後ほど午後にまたさかな街の前を通るんだけど、その時には道路一車線、入場者渋滞で動かなくなってた。恐るべしゴールデンウィーク。

何買ってきたでしか???

サーモンいくら丼だよん。
はふぅ💛お腹もいっぱいになったところで次の目的地は国吉城址。前述の若狭越前5名城のキャッチコピーは「難攻不落」。

国吉城は、美浜町「佐柿」にあった山城。戦国時代は若狭国と敦賀国の「境目の城」として国境を守っていました。
難攻不落と言う勇名を轟かせた「国吉籠城戦」は、ほぼ毎年襲来する越前朝倉氏の侵攻を朝倉氏が滅亡するまで、粟屋勢が国吉城に立て籠もって迎え撃ち、一度も落城なかった様子を描いた軍記『国吉籠城記』が世に広めたもの。

現在は本丸までは遊歩道が整備されているものの、なかなかの急斜面の九十九折れは「難攻不落」を体感させてくれるアプローチ(;^_^A
階段の段差が高いところが今回の山城の中で一番きつかった。
段差が高くなったところであさひ大殿、私の前にずいっと立ちふさがりにっこり笑って一言。

「お籠じゃの💛」
はいはい、大殿。お籠に乗って行きましょうね~。

今日はこんなお散歩ばっかりで嬉しいでしーーー♪
と一人軽やかに駆け上がる足軽大将小平太。


ふむふむ、なるほど。

どれどれ、ほぉぉ、難攻不落なんでしね。

母ちゃんもちゃんとお勉強しなきゃ・・・・・

ふぁーーーーーー、やらせに付き合うのももう面倒でし ← おい、バラすな、こへ。

金ケ崎にならんでこちらも展望は最高。

往復1時間くらい。下りてきて資料館は交代で見学。
あさひはお籠だったのに、すぐにお昼寝。
「いやぁ、疲れるわい」

太陽はきついんだけど、車のドア開けておけば入ってくる風は心地よい。
こへは頭だけ出して父ちゃん待ち。

今日は朝早くから山城2連発だったので、ちょっとは観光気分も味わってみる??と次に向かったのは三方五湖
ネットによると、有料道路レインボーラインから見える景色も絶景だし、ケーブルかーにはわんこも乗れるし、頂上にはカフェもあるじゃなーい💛
渋い山城ばっかりだったからこんなとこも行きたくて行こ行こ~♪と向かったら、あれ??なんかたくさん車がいて動かなくなっちゃったよ(⌒-⌒; )
渋滞やら混雑やらとは無縁の山城ばっかり行ってると、一瞬なんの列かわからなかったけど、あれ?これまさかの有料道路へ入る渋滞????
確かによーく見ると列はずーーーーーーっと向こうに見える有料道路の入り口辺りまで続き、ちらっと見える有料道路も車がまったく動いてないっ(;゚Д゚)

再び恐るべしゴールデンウィークーーーーーー!! 全く動く気配ないので敗退決定ーーー。ここも次回か。
いやぁ、そりゃ、何も制限の無い連休なんて何年ぶりだもんね。
みんな嬉しいよね。なんか渋滞なんだけど、これもちょっとわくわくする。

よし、ならば作戦変更。最後にもう一城回っちゃうぜ!!  ← ええっΣ(・□・;)(あさひの心の声)
次は玄蕃尾城址じゃ!!
続100名城に認定されていたので行こうと思ったとこだけど、途中なかなかに心細くなる道で、しかも時間は夕方に近い。
・・・・きっと誰もいないよなぁ、熊とか出ないかなぁ、山道荒れてたら怖いなぁ、、、と進んでいったら、あ💛車4台がくらいいるっ!!💛なら歩いても怖くないっ!!

でも車がいなかったら歩き出すのもちょっと躊躇する感じの出だしなのは確か。
実際はほんの少し上がれば道も綺麗で歩きやすく、城址に至っては、明るく開けていてとてもいいところでした。
登り口には新しくおトイレも設置されていて、誘致に力を入れているのも分かります。
堀や土塁の遺構もとてもよく残っていて、ここはお気に入り。
ちなみに玄蕃尾城、敦賀市の東の端、福井県と滋賀県の県境にある内中尾山(標高460m)山頂にあって、豊臣秀吉と柴田勝家が戦った「賤ケ岳の合戦」で、柴田軍の本陣となった山城。
勝家は戦わずにこの城から撤退し、その後も放置されたために、戦国時代の山城の遺構が当時のままの良好な状態で残っているのだそう。

次の大きい車になったらここまでたどり着けない道なので、今回来れて良かった~。
ここも往復で1時間くらいの上り下り。
あさひは急こう配のところはお籠。途中からなだらかな気持ちの良い山道なので、そこは頑張って歩いて一緒に登城できましたよ。

本日山城3つ。石碑城址1つ。
ほとんど登りはお籠だったとはいえ本当によく頑張ってくれた💛
車に戻るとすぐに横になってうとうとしちゃうから、本当に疲れたんだねぇ。

最初の急登を頑張ればあとはこんな感じの素敵な山道。

堀もよくわかる。

土塁もくっきり。

あさひ、あんまりそっちに行くと落ちちゃうよ(;’∀’)
眺望はあまりないけど、山頂の開けた感じが気持ちの良い登城でした。

3つも山城登ってヘロヘロでたどり着いたのは琵琶湖の道の駅みずどりステーション。
ここで食料買い込み、腹ごしらえandしばしの休憩。
キンキンのジュースと焼鯖素麺が沁みるーーー。焼鯖素麺、この辺りのメニューらしい。シンプルなんだけど、クセになる美味しさでした。
だって夜食用にもう一個買っちゃったくらい(笑)

今度はお店の食べてみたい。

日本は温泉があって本当に幸せだ。今日の疲れを取るべく温泉は北近江リゾート
ここで汗を流してもうひと頑張り。
最後54キロ走って、今日の仮眠の宿は道の駅鏡竜王かがみ
道の駅着いたらすぐに撃沈でした。

今晩もひんやりとして眠るにはちょうどいい気温。
これだけ疲れてると暑くて寝られないのは厳しいのでありがたいです。
それにしてもちょっと今までにない疲労感。まだ多少後遺症の倦怠感が残っているのかもしれないなぁ。

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