新シリーズ始動 鎌倉探訪1 常楽寺
今日は朝からのシフトだったので、ブログネタが無い(◞‸◟)
なので、数日前のネタで。
はい、このシリーズ100か所まで続くので覚悟してくださいね(笑)
何年かかるかなぁ。
今日は午後に時間があるので、記念すべき一か所目は近場の「常楽寺」
鎌倉・・・と言うより、大船にある・・・と言うイメージだね。
あ、もちろん歩いていきますよ。
昨日は帰りが遅かったのと、じょんさんが在宅で早朝に起きる必要が無いので、少し寝坊してまずはわんころずのお散歩。
ちょっと早めにお昼済ませて行ってきますっ♪
2日連続のアスファルトはあまり膝にはよくないけど、そんなに遠くないし・・・・・
てこてこててこ。
ほぉ、ここ車だと一瞬で通りずぎるのに歩くと結構遠いな(;^_^A
常楽寺の交差点を曲がって到着。
趣のある山門がお出迎えしてくれます。
山門の上には「粟船山」と書かれていますが、これは鎌倉幕府第三代執権北条泰時が、妻の母の供養のために建立した粟船御堂が由来。大船の地名はこの「粟船」がルーツとも言われていて「青船」とも記されていたそうで。昔はここまで入江だったらしく、粟を積んだ船が係留されていた事に因むとか。
大船の名前の由来ってそうだったんだぁ・・・・。
( ..)φメモメモ
印象的な石畳を進むと仏殿。
その仏殿の裏手に、大きな墓石が3基。右が開基の北条泰時のもの。
真ん中が龍淵和尚のもので、左が建長寺十三世 大応国師のものです。
お参りして、、、、えーと。源 (木曽) 義高の墓石(首塚?)があるはずなんだけどなぁ・・・・
ここから先は墓域のために一般の人は入っちゃいけないと書いてあるし・・・・。
お寺には誰もいないので聞くこともできずに、見つけられずに敗退か・・・・と、入り口あたりをうろうろしてたらちょうどご住職ご帰還。
聞くとお寺の横の小径を入っていって階段を上るとたどり着けるそう。
聞けて良かった。これ聞いてなかったら階段を目の前にしてもきっと足が進まないルートだ(;^_^A
この細い道を入っていって・・・・・
てくてく歩くと・・・・
なんか突然素敵なカフェがっ!!
寄りたい💛
しかし、お昼は食べてきたばかりだし、そもそもこの鎌倉探訪コンセプトは「ウォーキングでダイエットしながら、しかもお金を使わずにお勉強をする」なのだ ← 取ってつけたよう(笑)
今日のところは我慢我慢”(-“”-)”
てか雨が降り出してきたので速足で移動しないと。
そしてこんな階段を上ると・・・
ありました。
木曽(源)義高の塚。
義高は、木曽(源) 義仲の長男。鎌倉殿の13人では八代目市川染五郎が演じていた人物。
↑ このページ便利💛
義仲が平家に対して挙兵した際、頼朝に二心のないことの証に、鎌倉に送られた義高。頼朝の娘の大姫が許嫁となり、仲良く暮らしていたのに、やがて義仲と頼朝の関係が悪化し義仲が討たれると、義高の立場も危うくなり幸せな日々も終わりを迎えます。一度は自害を覚悟した義高も、北条政子の計らいで鎌倉を逃れ木曽に向かうも、入間川の河原で見つかり討たれてしまいます。大姫の嘆きはいかばかりであったか。
実は義高の首塚の少し下に大姫のお墓もあるのです。
注:泰時の娘「姫宮」の墓という説も。
ふぅーむ、なるほどなるほど・・・・・。
鎌倉殿の13人を観ながら巡るとまた臨場感が違うなぁ。
・・・・と、ここで雨は土砂降りに(;^_^A
このまま上へ進むと、いきなり明るい住宅地に出て、大きな道路まで出ればもう家はすぐそこ。
数時間のお散歩だけど、なんかタイムスリップしたみたいで高揚する。
次はどの寺院に行こうかなぁ。
一応鎌倉五山は抑えとかないとね。
続く。
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