プレゼントと言えば・・・・・
私のじいちゃん(もう他界したが)は、それなりにお金のある人だったので、みんなに、「たくさんお小遣いもらったんじゃなーい??」・・・と聞かれることが多かったが、いわゆるお小遣いというものはもらった記憶が無い。
そのかわり中学校入学とか、高校入学とか、年代の節目のプレゼントは豪勢だった・・・・・・・。
いや、望めば豪勢だったのに・・・・と言った方が正しい。
このプレゼントを希望するのが苦痛だったのだ。
もちろん、いろんなものは欲しかったけど、その方法が。
まずは、欲しいものがあると、その用途、なぜそれを希望するか、スペックや価格を吟味してプレゼンテーションしなければならない。 (←子どもなのに)
理論だった説明の苦手な私には、もう何も要りませんっ!と言いたくなる様な厳しさだったのだ。
中学校に入るとき、私はカセットデッキが欲しかった。
小さくて、持ち歩けるもので、ちょっと安っぽいメーカーの可愛い色のついたやつ。
その、カセットデッキのパンフを持って、じいちゃんのとこに行くと、
他に比較して吟味したもののパンフも見せろと言う。
兄ちゃんと電気屋さんにパンフをもらいに行ったので、私が欲しくも無い、すんごい高いメーカーの、すんごい豪勢な、今思うとすんごいカッコいいデッキたちの、ほぼ兄ちゃんの趣味のパンフを沢山仕入れて来ていた。
じいちゃんは、いろんな機種と私のほしいものを見比べ、こっちの方が機能がついてるのになぜこっちを希望するのか、意図は????
・・・みたいなものの説明を求めてきた。
・・・・そして気がつくと、私の手元には、その当時では最高機種の、スペックも良い、色は渋いメタリックで、そして気が遠くなるほどでかいカセットデッキがあった。
兄ちゃんや、周りの友達からの羨望のまなざしはすごかったけど、自分的にはとっても疲労感の残るプレゼントだった。
同じような流れで、とんでもなくでかいキーボードも持っていたりした。
・・・・少し大きくなって、いろいろ狡い知恵がついてきて、物欲が芽生えてきた頃にはじいちゃんはこの世にいなかった。
今なら、自分では決して行けない料亭とか、クライミング道具一式とか、あの手この手でゲットする自信のある自分がいるんだが・・・・。
残念な話だ・・・・。 (← 祖父不幸者っ)
なんだかプレゼントをもらうとじいちゃんを思い出す今日この頃。
それにしても、家ではじいちゃんに怒られた記憶は無い。
いつも庭いじりしていて、穏やかな笑顔を浮かべている印象しかないんだけど、
ひとたび会社の顔になると、一瞥で全ての人を黙らせる迫力のあった人だったらしい。
それでも亡くなった時は、ほぼ会社からは退いていたのも関わらず、社葬をしてもらって、すごく沢山の人が弔問に来てくれていたなぁ。
仕事のこととか、経営のこととか、建築のこととか・・・・・
もっといろいろじいちゃんと話をしたかった。
この記事へのコメント
祖父
よくできたおじい様ではありませんか
どうりで孫も良くできている
プレゼン
とてもくだらないものの
プレゼンテーションごっこ
なんて、面白いかもって
思っちゃいました。
え~、なぜかと申しますと。。。
(以下、略)
Unknown
→ 西羅さん。 じいちゃんは良くできた人でしたよ~。憧れのじいちゃん。
→ M~っ!!
以下略って何っ!!!!
Unknown
アタシは、父方のじいちゃんは生まれたときからおらず、母方のじいちゃんは名古屋におり、なかなかおねだりをする事もなく、今に至ります。
プレゼントといえば…うちの兄が中学の時、高校受験で『うちの地区で1番の高校に合格したら、何でも買ってやる!』という父の言葉を、合格という形で見事現実化させた事がありました。
お陰で彼は、当時何十万という値段だったパソコンを購入してもらい、散々ゲームで使った挙句、ゴミと化していきました…
ゲームしたかったなら、スーパーファミコンでよかったんじゃねえか?って感じでしたが。
関係ないか!?
Unknown
↑ 爆笑。
でもきっとスーファミじゃだめだったのよ。
パソコンが欲しくて買ったら、おっと、ゲームがついてるじゃねーかっ♪
・・・って感じだったんじゃないの???
一回れいちゃんの兄ちゃん見てみたいな。